パキスタンのムシャラフ元大統領、死去 79歳

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アリス・デイヴィス、BBCニュース

Former President of Pakistan Pervez Musharraf

画像提供, Reuters

画像説明, パキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ元大統領

パキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ元大統領が5日、死去した。79歳だった。同国軍が発表した。

ムシャラフ氏は、軍トップの陸軍参謀長だった1999年にクーデターで政権を握り、2001~2008年に大統領を務めた。

軍によると、長期の闘病生活の末に、アラブ首長国連邦・ドバイの病院で死去した。

パキスタンのテレビ局ジオ・ニュースによると、遺族の求めにより、遺体は特別便で同国に戻される。

2016年から亡命生活

ムシャラフ氏は、何度も暗殺計画を生き延びた。イスラム武装勢力と西側との争いでは、最前線に身を置いた。

2001年9月11日の米同時多発攻撃の後は、パキスタン国内の反対に直面しながらも、アメリカの「テロとの戦い」を支持した。

2008年の総選挙で敗れ、その半年後に国外に転出。2013年には総選挙での政界復帰を目指して帰国したが、拘束され立候補を禁じられた。

2016年に治療のためパキスタンからドバイへ渡った。以来、同地で亡命生活を送っていた。

2019年には欠席裁判で国家反逆罪により死刑を宣告された。だが、1カ月もしないうちに判決は覆された。

軍や政権が哀悼の意

ムシャラフ氏の死去を受け、パキスタン軍は声明で「心からの哀悼の意」を表明。「アラーが故人を祝福し、遺族に力を与えることを願う」と付け加えた。

パキスタンのアリフ・アルヴィ大統領は、「故人には永遠の安息を、遺族にはこの喪失に耐える勇気を」祈るとした。

シャバズ・シャリフ首相や軍幹部らも哀悼の意を表した。

論争にまみれたキャリア

ムシャラフ氏の統治は極端だった。一部からは、パキスタンの経済を好転させたと評価された。

政権の座を失ってからは、いくつもの裁判に巻き込まれた。ベナジル・ブット元首相が2007年にタリバンに暗殺され、国内外に衝撃が広がった事件では、ムシャラフ氏は適切な警備を怠ったとして起訴された。

同氏のキャリアは、2019年の国家反逆罪の死刑判決で、最終的には不名誉な形で終わった。パキスタンに戻ることは二度となかった。

それでも、ムシャラフ氏の元側近で、現在はイムラン・カーン前首相の政党の幹部を務めるファワド・チョードリー氏はムシャラフ氏を称賛。「彼は軍事独裁者とされているが、民主主義体制が最も強固だったのは彼の政権下だった。(中略)非常に困難な時期にパキスタンを率いたが、パキスタン人は彼の統治がパキスタン史上最高の1つだったと信じている」と、ロイター通信が引用したコメントで述べた。

一方、イスラマバードに拠点を置くシンクタンク、タバドラブのモシャラフ・ザイディ最高経営責任者(CEO)は、ムシャラフ氏について、政権を握っていた時代に「パキスタンを破壊」したと話した。

インドでも評価分かれる

ムシャラフ氏をめぐっては、インドでも意見が分かれた。

同氏は1999年5月のカルギル紛争に軍指導者として関与。多くのインド人が彼を敵として見るようになった。同紛争ではパキスタン軍将官らが、カルギル高地のインド側を占拠する作戦を密かに命じた。

しかし、インドの政治家で元国連外交官のシャシ・タロール氏は、ムシャラフ氏が大統領在任中に自分を取り戻したように思えたとコメント。「かつてはインドにとって憎むべき敵だったが、2002~2007年には平和のための真の力となった」と述べた。

タロール氏はまた、かつて国連で毎年、ムシャラフ氏に会っていたとし、「賢く、魅力的で、明快な戦略的思考の持ち主」だったと話した。