アルメニアとアゼルバイジャンの紛争、攻撃された双方の市民の思い

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係争地ナゴルノ・カラバフ地域をめぐる、アルメニアとアゼルバイジャンの数十年にわたる紛争が再燃した。戦闘は1994年の停戦以降で最悪のものとなっている。10日にはロシアの仲裁で一時停戦が決まったものの、攻撃は続いている。
両国が領有権を主張するナゴルノ・カラバフ地域は、国際的にはアゼルバイジャンの一部と認められているが、アルメニア系住民が実効支配している。アゼルバイジャンはこの地域を取り戻すと述べている一方、アルメニアは、この土地は歴史的に何世紀もアルメニアのものだったと主張している。
BBCのオルラ・グエリン特派員とスティーヴ・ローゼンバーグ特派員が、苦悩と愛国心に揺れる両国の市民を取材した。
アゼルバイジャン ――オルラ・グエリン特派員、BBCニュース
アゼルバイジャン第2の都市ガンジャ。朝の太陽に包まれているその並木道にはガラスが飛び散っていた。道沿いの集合住宅は、缶詰めを開けたように中が丸見えになっていた。
ガンジャはナゴルノ・カラバフ地域の戦線から100キロ離れている。しかし一時停戦の1日目だった11日、その距離は決して遠くはなかった。
アゼルバイジャンは、アルメニアがガンジャの住宅街に弾道ミサイルを撃ち込んだと非難している。アルメニアも、アゼルバイジャン政府が民間人を爆撃したと批判している。
私たちはガンジャで、60歳のヌシャベ・ハイデロヴァさんと出会った。頭にスカーフを巻き、寝巻きにカーディガンを羽織り、スリッパを履いた姿だった。ハイデロヴァさんの腕はショックで震えていた。
「着の身着のままで逃げてきました。命からがらです。ひどかった」
私たちはがれきの中を歩いて、破壊されたハイデロヴァさんの家を訪ね、ハイデロヴァさんの孫たちが寝ていたというベッドルームに案内された。孫たちは軽傷で済んだという。
しかしアゼルバイジャンとアルメニアの双方で、こうした若い世代が数十年にわたる紛争で傷つけられている。時々、両国は鏡映しになっているように思うことがある。

「アルメニア人は平和的に去るべきです」とハイデロヴァさんは言った。
「戦争は望んでいない。ただ祖国の地を解放してほしいだけです」
アゼルバイジャンの人々は、ナゴルノ・カラバフ地域を失われた領土だと思っている。これは信仰としても、入念に準備された国家の物語としても浸透しており、国際社会の支持も得ている。
イフティヤル・ラスロフさん(22)は、ナゴルノ・カラバフ地域に足を踏み入れたことはない。しかしきれいにひげを剃り、男性アイドルのようないでたちのこの青年も、同地域を取り戻すために死ぬ覚悟をしている。私たちがアゼルバイジャンの首都バクーで出会ったとき、ラスロフさんは兵役に志願したところだった。
ラスロフさんは熱心な口調で、「国のため、祖国の地のために、心血を注いで戦うつもりです」と話した。
「父と母、そして祖父はかつてあの地域に住んでいました。今も、きょうだいが戦っています」
ラスロフさんが住む荒れ果てた住宅街には、1990年代前半にナゴルノ・カラバフ地域の戦火から逃れてきた家族が多く住んでいる。失われた土地、残虐な行為、アルメニアに対する歴史的な憎悪……。そういった人々の記憶と共に育ってきた。その記憶はここの住民の多くに深く根付いている。
「カラバフはアゼルバイジャンです」とラスロフさんは話す。
「アルメニア人がやって来て、私たちの国にたくさんのひどいことをした。もちろん、私自身はそれを見ていないけど、話は聞いています」
ラスロフさんはまた、アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領が言うことには何でも賛成すると言った。アゼルバイジャンは非常に統制された国家で、アリエフ氏は世襲で大統領となった。こうした国では、ラスロフさんのようなことを言う人はたくさんいる。
私たちが話していると、はげかかった快活な男性が退役軍人の身分証を見せにやってきた。ラスロフさんの隣人のアセフ・ハクヴェルディエフさんは、前回の戦闘に参加したという。
「私は51歳です。国のために死ぬ準備はできています」
「息子も戦いに送り出して、今は国境付近で戦っています。家族が死んでも、全員が死んでも、祖国の土地は1ミリも渡すつもりはありません」
戦線に近いタルタルの街でも、ある高齢の女性から同じような話を聞いた。街のいたるところが爆撃される中、アイベニツ・ジャファラヴァさんは地下に隠れはしたものの、街を出るのを拒否した。私たちと出会ったとき、ジャファラヴァさんは親族数人とその場しのぎのシェルターにいたが、その腕には生後6カ月の孫ファリズちゃんがいた。
シェルターの薄明かりの中、ジャファラヴァさんは笑いながら「私たちはこの時を28年間も待っていた」と話した。
「今起こっていることにワクワクしています。息子も娘も最前線で戦っています。私たちはこのシェルターで勝利の日を待って、それから祖国の地に引っ越すんです」
ここでは、ロシアの仲介による停戦が続くと思っている人は少ない。多くの人がそれを望んでいない。アゼルバイジャン軍はすでに、ナゴルノ・カラバフ地域の一部分を奪還している。住民らは戦場での勝利を待ち望み、大統領が戦闘を続行してくれることを期待している。
アゼルバイジャン ――スティーヴ・ローゼンバーグ特派員(ナゴルノ・カラバフ地域)
ナゴルノ・カラバフ地域の中心都市、ステパナケルトを見下ろす丘を歩きながら、アショット・アガジャンヤンさんは私を家へと招いてくれた。しかしそこは家というよりは、家の残骸といったところだった。
リビングルームは割れたガラスに覆われ、天井の一部が抜け落ちていた。新しく買ったばかりだったというソファには、砲弾の破片が突き刺さっている。台所と浴室は完全に吹き飛んでいた。

アガジャンヤンさんの家には、アゼルバイジャンから飛んできたとみられる長距離ミサイルが直撃した。私たちは庭でその破片を見つけた。アガジャンヤンさんによると、攻撃は正式な一時停戦が始まった直後に起こったという。
幸運なことに、アガジャンヤンさんと息子は地下室にいて無事だった。しかし、アガジャンヤンさんが自らの手で建てた家は吹き飛んでしまった。
アルメニア人とアゼルバイジャン人が平和的に暮らせる日が来るかという質問に、アガジャンヤンさんは「絶対にない」と答えた。
ステパナケルトでは1日に数回、空襲警報が鳴り響き、住民に避難を呼びかける。セルゲイ・アヴァニシャンさんが耳をつんざくような爆音を聞いたのは、住宅街にあるシェルターに隠れていた時だった。
「建物全体が揺れました」
シェルターから出ると、自宅から数メートルのところに巨大なクレーターができており、道の反対側にあった建物はがれきの山になっていた。爆発があまりに大きかったため、道路のアスファルトの一部が飛んできた。そのアスファルトが、アヴァニシャンさんの住むアパートの屋根を破壊した。

アヴァニシャンさんは、アゼルバイジャンを支援しているトルコが戦争をたきつけ、暴力を奨励していると非難している。これに対抗するため、ロシアが公にアルメニアを支持し、軍事支援を送ってくれることを願う人がナゴルノ・カラバフ地域には大勢いる。しかし、アヴァニシャンさんはこれも、現実にはならないだろうと話した。
「昔はウラジーミル・プーチン大統領を尊敬しましたが、ずいぶんと前にアルメニアを裏切っています」
「プーチンはトルコと取引しています。トルコに原子力発電所を作ってあげています。プーチンには、もしアルメニアが破壊されれば、コーカサス地方とロシア南部がすべてトルコの支配下に置かれてしまうと気付いてほしい。我々が死ねば、ロシアも同じ道をたどるでしょう」
ナゴルノ・カラバフ地域の人口の大半を占めるアルメニア系住民(アルメニアでは「アルツァフ」と呼ばれている)は、数世代にわたってこの土地に住んでいる。
さらに、カラバフはアルメニア人にとって精神的・感情的にも重要な土地だ。
ステパナケルトのカフェで出会ったアラ・シャンリアンさんは、ロサンゼルスに住んでいるが、アルメニアにルーツを持つ。ナゴルノ・カラバフ地域が攻撃されていると知った時、シャンリアンさんは連帯を示すために慌ててこの地にやってきたという。
「来なければならなかった。私ができることすべて、祖国とその国民にできることすべてをささげようと思って来た」

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ナゴルノ・カラバフ地域で出会った人たちからは、その情熱の強さがうかがえた。アゼルバイジャンと譲歩しようという気持ちはほとんど感じられなかった。
ロバート・アヴェティシャン氏は、「アルツァフに対する数々の攻撃を経て、アゼルバイジャンはこの土地を自分たちのものだと主張する倫理的な権利を失いました」と話した。アヴェティシャン氏は駐米ナゴルノ・カラバフ代表だが、私たちはステパナケルトで会談した。
私は、攻撃は双方で行われていると指摘した。ガンジャではアゼルバイジャン市民が殺され、同国はアルメニアを非難している。
アヴェティシャン氏はこれに、「同じ日にステパナケルトには5基の長距離ミサイルが撃ち込まれ、死者が出ました」と答えた。
「その数日前には、町中が100基ものミサイルで攻撃されました。我々は民間インフラを標的にしたことはない。ガンジャには軍事施設があります」
「でも、ガンジャの住宅地は軍事施設ではありませんが?」
「知りません」とアヴェティシャン氏は述べた。
「我々は軍事的に価値のない施設を意図的に標的にしたことはないと、そう言っているだけです」











