【解説】 中国で朱鎔基元首相の告別式、国民の追悼を検閲 政府の思惑は

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ローラ・ビッカー中国特派員、コー・ユー記者
中国の朱鎔基元首相の告別式が18日、北京で行われた。朱氏は12日、病気のため97歳で死去し、18日に火葬された。国民が元首相の死を悼む中、政府関連施設では半旗が掲げられ、北京中心部には警備車両が並んだ。
習近平国家主席をはじめとする最高幹部らが参列した告別式は、簡素な形で執り行われた。映像は一切公開されていない。
1998年から2003年まで首相を務めた朱氏は、中国で最も重要な経済改革者の一人として記憶されている。
中国政府は朱氏を「忠実な」党員として称賛する一方で、同氏の改革時代に対する国民の追悼が、習政権に対する遠回しな批判に容易に転じうることを警戒している。
中国国営メディアは18日、習国家主席が、朱氏を病院で見舞ったり、死去後に弔意を示したりした指導者の一人だったと報じた。現職の李強首相や胡錦濤前国家主席も同様の行動をしたという。
国営メディアは朱氏を「中国共産党の傑出した党員」であり、「長年にわたり忠誠を尽くしてきた共産主義の闘士」と評した。
朱氏は、高官や著名人が埋葬される八宝山革命公墓で火葬された。
一方、インターネット上では、朱氏に関する投稿は抑制され、検閲されている。経済学者の趙建氏が書いた評論もその対象となった。趙氏は、朱氏の時代を人々が「正真正銘の貧しさ」を味わいながらも、明るい未来を見据えていた時代として回想していた。
「当時はスマートフォンもなければ、ショート動画もなく、不安をあおるようなコンテンツで画面が埋め尽くされることもなかった」
「空は青く、生活はゆっくりと流れ、人々は自分の本当の考えを口にすることができた」
趙氏の評論は、公開された翌日に中国のソーシャルメディア「微信(ウィーチャット)」から削除された。
中国共産党は長年、高官や著名人の死去に対する国民の反応を恐れてきた。
1976年の周恩来元首相の死去と1989年の胡耀邦元中国共産党総書記の死去は、広範な悲しみの表明を引き起こし、それが抗議活動へと発展した。
朱氏は、2022年に死去した江沢民国家主席の生誕100周年を記念する行事が行われる、わずか数日前に亡くなった。
同時代の著名な指導者である朱氏と江氏の死は、多くの中国人の間で、同国が今とは異なる方向へ進んでいるように見えた時代、つまり、中国が世界に門戸を開き、国民により多くの自由を与えるかもしれないと思われた時代への郷愁の波を引き起こした。
過ぎ去った時代の率直さ
かつて毛沢東政権下で粛清された朱氏は、1976年の毛氏の死後、政権に復帰した。
朱氏は江氏のかたわらで首相を務めた。江氏は1989年に共産党総書記、1993年に国家主席に就任した。
両氏は1998年から2003年まで中国の指導部で共に要職を務め、中国を急速な経済成長と世界貿易への参入という時代へと導いた。
その間、中国は痛みを伴う改革を断行した。慢性的な赤字だった国有企業を閉鎖し、旧来の住宅制度を解体して商業不動産市場を導入した。また、1990年代後半のアジア金融危機を乗り越え、2001年には世界貿易機関(WTO)に加盟した。
しかし、当時の中国の人々を魅了したのは、両者に共通する独特のスタイル、つまり親しみやすさだったようだ。
中国国営メディアが制作した江氏の生涯を描いたドキュメンタリーでは、同氏がテーブルをたたいたかと思えば、次の瞬間には大笑いする様子が映し出されている。

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一方、朱氏はかつて、汚職銀行家をののしったり、長江沿いの堤防を「おからのようにもろい」と評したことがある。
また、無表情なユーモアでも知られていた。1999年の記者会見で、中国がビル・クリントン米大統領の民主党に献金したという疑惑について質問された際も、そのユーモアを披露した。
「もし政治献金が本当に効果的なら、そして私が1460億ドルの外貨準備高を持っているのなら、少なくとも100億ドルはそのために出すことができる。なぜたった30万ドルなのか?それはあまりにも愚かだ」と朱氏は言い、記者団の笑いを誘った。
朱氏が亡くなった日に公開された江氏のドキュメンタリー番組では、朱氏がどのようにして同志たちを説得し、厳しい改革を実行させたのかを説明する場面が取り上げられていた。
「私はメリットとデメリットについて話すためにここに来たのではない。物事を成し遂げる方法を話すためにここに来た」と朱氏は述べていた。
ソーシャルメディアでは、江氏と朱氏が一緒に笑っている写真が出回っており、2人の率直なコミュニケーションを称賛する声が上がっている。
あるユーザーは、「彼らは真実を語り、責任を負い、人々のために尽力した」と投稿した。
それは中国の視聴者を魅了するスタイルであり、現在の綿密に演出された指導部のスタイルとは対照的だ。
習主席が提示する物語
この2人の指導者が死去し、中国の歴史に名を刻んだことで、民間企業活動と富の創出を重視した1990年代から2000年代初頭にかけての急激な改革は、決定的な終わりを告げた。
2人の政策は、中央集権的な統制を強化し、技術的自立と戦略産業に焦点を当てた国家主導型の経済政策を推進してきた習主席のそれとは対照的だ。
習氏は17日に行った40分間の演説で、共産党に対し江氏のレガシーを受け継ぐよう呼びかけ、現在の指導部を江氏の政治的・思想的プロジェクトの継続と位置づけた。
「これから始まる新たな旅路において、我々は潜在的な危険に対する警戒心をさらに高めなければならない」とも、習氏は語った。
「不屈の闘志と卓越した戦闘技術をもって、強風や激流、あるいは猛烈な嵐といった大きな試練に積極的に立ち向かわなければならない」
習氏はまた、1989年に上海の改革派新聞「世界経済導報」が、天安門広場での流血の弾圧につながった民主化デモを支持した際、当時、上海市トップだった江氏が同紙を停刊に追い込んだことを称賛した。

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英キングス・コレッジ・ロンドンのケリー・ブラウン教授(中国研究)は、「習氏は、中国という国家の偉大な復興に注力している」と話す。
同大学のロー・チャイナ・インスティテュートの所長でもあるブラウン教授は、「習氏は統一された歴史観を提示しようとしている。過去の指導者たちが異なる未来の道を提示したり示唆したりしたという考えを、公の場で議論されることは許されないだろう」とも付け加えた。
「他の『もしも』にこだわるのではなく、彼らの人生は、彼らの行ったすべてのことが中国を今の姿に変えたという物語の中に織り込まれる」
しかし、中国が経済成長の鈍化と人口減少に直面するなか、習氏が抱える課題も大きなものとなっている。
住宅価格は急落し、若年層の失業率は高く、工業生産はますます低迷している。
2けた成長の時代は終わった。
過ぎ去った時代への哀悼は、中国の人々が一生懸命働けば生活が向上すると信じていた時代への哀悼でもある。
多くの人にとって、その確信は失われてしまった。
経済学者の趙氏が評論で書いたように、「人生はつらかったが、それは希望によって支えられた苦難だった」。
趙氏は、現在では多くの人が「物質的な豊かさ」を持ち、中国に「高層ビルが立ち並ぶスカイラインや交通量の多い道路」ができたことを認めている。
しかし趙氏は、ではなぜ、「私たちは心の奥底にこれほど空虚感を感じるのだろうか?」と問いかける。















