【解説】スターマー英首相辞任 ルール重視の元検察トップは国民とのつながり作れず

焦点の合っていないイギリス国旗の斜め前、物思いにふけるような表情のスターマー英首相

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ベッキー・モートン、ブライアン・ウィーラー 政治記者

サー・キア・スターマーほど、劇的に失脚した政治家もそういない。

総選挙の圧勝を祝ってから、まだ2年もたっていないのだ。あの時のスターマー氏は、今後何年ものイギリス政治における圧倒的な存在になるかと思えていた。

それが今では、自分が率いる与党にトップの座を追われてしまった。かつて約束したような「国家再生の10年」を実現するどころか、今後は閣僚ですらない一般の下院議員に戻るかどうかという状況だ。

首相官邸の玄関前で気持ちを込めて行った辞任演説で、自分の党がいま質問しているのは「次の総選挙へと党を率いるのに、私が一番適任かどうか」だと、スターマー氏は認めた。

そして、「私はその問いに対する議会内政党の答えを聞きました。そして私はその答えを潔く受け入れます」と述べた。

動画説明, 【全訳】スターマー氏の辞任演説 次の総選挙へ向けた「党の答えを聞いた」

労働党が2024年にいかに圧勝したかを思うと、スターマー氏がいかにほとんど例のない成果を出したがわかる。下院で野党との議席数の差が3ケタにもなるという大差で圧勝した労働党の党首は、クレメント・アトリー、トニー・ブレア両氏に続いて、スターマー氏しかいないのだ。

とはいえ、それを実現した際の得票率は、歴史的に低かった。スターマー氏が首相となって数週間のうちに、その支持率は急落した。さまざまな失策が重なり、政策のUターンも相次ぎ、支持率はそのまま回復しなかった。

在任期間が最も短い労働党の首相として歴史に名を残すことは、本人にとってひどくつらいことだろう。

政治の信頼回復を約束

スターマー氏は常に、労働党の党首としては異例の存在だった。政界入りは遅く、法律の分野で目覚ましいキャリアを積んだ後、50代になってようやく下院議員となった。

ほとんどの前任者とは異なり、何十年もかけて政治的スキルを磨いたり、政治家仲間と盟約を結んだりしてこなかった。本人の政治的な立ち位置は、必ずしもはっきりしていなかった。

こうした政治的な「お荷物」を背負っていないことが、自分の強みだと本人は考えていた。「スターマリズム」など、そんなものはあり得ないのだと自慢したこともある。

しかし、与党議員の間では、スターマー氏には明確なイデオロギーがなく、単純な話としてあまり政治がうまくないという批判が増えた。

本人は、自分は常に国益のために行動する、賢明で現実的な指導者だと、自分の存在を打ち出そうとしていた。まじめさが求められる深刻な時代に、まじめに取り組む男だと。きっちりと手続きを重視する仕事の仕方から、リサ・ナンディ文化相は首相を「ミスター・ルール」と呼んだ。

しかし、スターマー氏に批判的な勢力は、首相には労働党のメッセージを国民に伝えるためのコミュニケーション能力が不足していると主張した。いかに生身の感情を表現できるかが圧倒的に重視される時代の政治において、スターマー氏は堅苦しくてよそよそしいという印象を与えることもあった。

2024年7月に首相官邸の前で行った就任演説で首相は、政治への信頼を回復し、「穏やかな水域」へ国を戻すと約束した。

保守党政権の混乱と腐敗を批判していた首相は、自分が就任するにあたりそのような政治とはきっぱり決別すると示し、「政治を奉仕に戻し、政治が再び国民を尊重するようにします」と約束した。

動画説明, 【全訳】 イギリスのスターマー新首相、官邸前で演説 国民への奉仕と国の再建を強調(2024年7月)

しかし、その新政権が得た政治的な蜜月期間は、イギリス政治の歴史でも珍しいほど、実にあっという間に終わった。

新しい首相とレイチェル・リーヴス財務相は就任当初、保守党政権から受け継いだ経済的な問題は予想よりはるかに深刻だったと、国民に警告し続けた。保守党が深刻な財政問題を残していったので、増税が必要なのだと、首相と財務相は言い続けた。

スターマー首相は後に、政権発足当初の対応としてこれは間違っていたと認めた。有権者にはもっと希望を与えるべきだったと。

それでもスターマー政権は政権交代直後の2024年7月、1000万人の年金受給者に対する冬季燃料費の支給を停止すると決めた。世論調査の専門家たちは後に、スターマー首相個人の支持率が一気に急落し始めたのは、この時が皮切りだったと指さした。

「変化が始まる」と書かれた赤いパネルが掲げられた演台に向かい、笑顔で立つスターマー氏。表後ろでは、支持者たちがイギリスやスコットランド、ウェールズの旗を手に笑顔で拍手している

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画像説明, スターマー氏は2024年の総選挙で労働党を圧勝へと導いた

政治戦略家でトニー・ブレア元首相の顧問だったジョン・マクターナン氏は、英紙フィナンシャル・タイムズにこう話した。

「第一印象を与えられるチャンスは一度しかない。(年金受給者への光熱費打ち切りを)見て国民は、『自分が何者か明かしたな』と思った。怒りはやがて軽蔑に変わった」

首相は昨年5月、冬季燃料費の支給について方針をUターンさせた。その頃にはすでに、ほかにも国民や党内の抵抗勢力と化した議員たちの間で不人気な、さまざまな政策について、方針転換を繰り返していた。Uターンがパターンとなってしまっていた。

首相への批判として最も繰り返されていたのは、スターマー氏には強い目的意識がない、自分の権力を使って何を実現したいのか本人もわかっていない――という内容だった。

首相は、より公平でより豊かなイギリスを実現するため、自分の政府の「ミッション」や「マイルストーン」を打ち出していたし、政策的な仕切り直しも重ねていたのだが、それでも上記のように批判された。

数々の演説やインタビューの中で、社会的な正義の実現を熱烈に望んでいるし、決して裕福ではなかった生い立ちから自分の政治的信念を作り上げていったのだと、首相は繰り返し語った。

ロンドンのダウニング街で、スーツ姿で笑顔のスターマー氏と、赤いドレス姿の妻ヴィクトリア氏が、笑顔で支援者に挨拶している

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画像説明, 首相就任時に妻ヴィクトリア氏と支持者にあいさつするスターマー氏

労働者階級のルーツ

スターマー氏は、労働党支持者の両親のもと、サリー州オクステッドで生まれた。「キア」と言う名前は、労働党の初代党首キア・ハーディーにちなんでいる。

野党党首だった2022年9月、スターマー氏はBBCに次のように話している。

「父は工場で働き、母は看護師として働いていたが、月々の支払いができない。台所でテーブルを囲みながら、それがどういう感じのことだったか、自分は実際に知っている」

「請求書の支払いができないから、公共料金や電話が切られたのを覚えている。なので、多くの人がどういう思いでいるのか、知っている」

父親が道具職人だったという話は、スターマー氏の演説の中で定番のネタのようなものになっていった。同時に、スチル病という珍しい衰弱性の関節炎を患っていた母親についても、スターマー氏はしばしば感動的に話していた。首相の母はやがて、その病気のため、歩くことも食事をとることもできなくなった。

リーズ大の卒業式当日、両親のロドニーさんとジョセフィンさんと記念撮影

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画像説明, リーズ大の卒業式当日、父ロドニーさん、母ジョセフィンさんと
リーズ大の学生時代(手前)、一緒に住んでいた仲間たちと一緒に

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画像説明, リーズ大の学生時代(手前)、一緒に住んでいた仲間たちと一緒に

学業優秀だったスターマー氏は一族の中で初めて大学に進学し、リーズ大学で法律を学び、後にオックスフォード大学でも法律を学んだ。

その後、人権弁護士として目覚ましいキャリアを築いた。首相を批判する人たちは、弁護士としてのスターマー氏が最悪の人間たちを弁護したと言う。しかし、スターマー氏は2008年には検察局長に選ばれ、イングランドとウェールズで毎週何千人もの犯罪者を法廷に引っ張り出す責任者となった。

その後、検察局長としての功績により「ナイト」の称号を授与され、「サー・キア」となった。

妻のヴィクトリア氏とは仕事を通じて知り合った。ヴィクトリア氏は国民保健サービス(NHS)の労働衛生部門で働いている。

2人は2007年に結婚。2人の子供がいる。

スターマー氏は2015年、ロンドン北部のホルボーン・アンド・セントパンクラスという労働党の安定地盤で、下院議員に初選出された。52歳での政界入りだった。

ウィングカラーの白いシャツに白いネクタイ、黒い法服のスターマー氏が、白いゴシック様式のアーチの前に立っている

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画像説明, スターマー首相は弁護士生活のほとんどを、法廷弁護人として過ごした。写真は2006年、若い法廷弁護人としてロンドンの王立裁判所の前に立つスターマー氏

不安定な政治的関係

ジェレミー・コービン党首率いる労働党で、移民担当の影の閣外相として初めて「入閣」を果たした。

しかし、ブレグジット(イギリスの欧州連合離脱)の是非をめぐる2016年6月の国民投票の後、コービン党首が指導力を発揮しなかったとして辞任に追い込もうと、多くの影の閣僚が一気に辞任した。スターマー氏もその一人だった。

欧州連合(EU)残留を支持したスターマー氏は辞表の中で、国民投票の結果は「イギリスにとって壊滅的」なもので、労働党がブレグジットの難問に取り組むには新しい指導者が必要だと主張した。

しかし、コービン氏が党首として生き延びると、スターマー氏は影のブレグジット担当相になった。

2019年12月の総選挙で労働党が惨敗すると、コービン党首は引責辞任首選を経て翌年4月に、後任としてスターマー党首が誕生した。

共に紺色のジャケットにえんじ系のネクタイを締めたコービン氏とスターマー氏が並んでお互いに向かい、大きく笑っている
画像説明, コービン党首の下、スターマー氏は影のブレグジット担当相を務めた

党首選でスターマー氏は、水道事業の再国有化や大学の授業料廃止といった左派綱領を掲げ、党内の支持を固めた。

しかし、いざ党首になるとスターマー氏は、有権者の信頼を獲得するには労働党は財政的に健全な政策を掲げなくてはならないと主張し、党首選での公約をどれも手放した。

加えてスターマー氏は、反ユダヤ的とされたコービン労働党の在り方をめぐり、コービン氏を労働党から追放し、労働党候補としての下院選出馬を禁止した。自分が党首だった時の労働党は反ユダヤ的だったという批判はおおげさだと、コービン氏が発言したことがきっかけだった。

2020年春の労働党党首選は、新型コロナウイルスの感染対策のためのロックダウンの最中だった。このため、スターマー氏の党首選勝利の演説はがらんとした室内で収録されたビデオ演説だった。そしてその後も、労働党党首としてなかなか強い印象を与えられずに苦労した。

しかし、野党党首として最も低調だったのは、労働党が長年押さえてきたイングランド北部ハートリプールで2021年5月、下院補選に敗れた時だった。

この敗北を受けてスターマー氏は党首辞任を真剣に検討したが、側近や妻に慰留され、留任することにした。

元側近のクリス・ウォード氏は、スターマー氏の伝記作家トム・ボールドウィン氏にこう話している。

「キアは、自分は辞めなくてはならないと思うと、そう繰り返していた。(補選の)結果は、党が後退していることを示しているし、それは自分自身が拒絶されたという意味だと、本人は受け止めていた。私は、そういう反応をするには時期尚早だと言ったが、数時間の間、なかなか厳しい状況だった」

スターマー氏自身も当時、複数の友人にこう言ったと伝えられている。

「私はここで、人生をかけた夢を実現しているとか、そういうことじゃない。私は書店などでも楽しく働ける」

政権掌握、最初の数カ月

しかしその後間もなく、労働党の命運は変わり始めた。

パンデミックのロックダウン中に首相官邸でパーティーが繰り返されていたことや、リズ・トラス政権の予算案による経済的な大混乱について、国民は怒っていた。与党・保守党に対するその怒りによって、最大野党・労働党の支持率が上昇したのだ。

2024年に総選挙が行われると、コービン時代の政策を捨て、労働党が何より優先するのは経済の安定だと打ち出した、スターマー氏の戦略が奏功した。

左がスー・グレイ、肩までの長さの茶色/金髪のウェーブのかかった髪で、黒いレザージャケットを着た中年女性、右は、上からグレーのコートを着た赤褐色の髪とあごひげを生やした男性、モーガン・マクスウィーニーの画像が分かれている

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画像説明, スターマー政権内部では、スー・グレイ氏(左)と、その後任となったモルガン・マクスウィーニー氏が権力闘争を繰り広げた。これが、政権発足後の数カ月間、緊張を引き起こした。

スターマー氏は2024年の選挙戦で、「変化」というたった一言をスローガンにして戦った。そして彼は、堅実で、有能で、最高の倫理基準を体現するという自身の政治的ブランドを、選挙戦の前面に押し出した。

しかし、その清廉潔白なイメージは、間もなく輝きを失った。

首相就任からわずか3カ月後、首相に就任してから受け取った6000ポンド以上に相当するプレゼントを返済した。物品やサービスを含むプレゼントの中には、米歌手テイラー・スウィフトのライブのチケットも含まれていた。

首相が受け取ったものはどれも規則の範囲内だったものの、閣僚が裕福な寄付者から数千ポンド相当のプレゼントを受け取っていたという話は、国民に決して歓迎されなかった。

この問題をめぐり、首相の首席補佐官だったスー・グレイ氏が辞任した。グレイ氏は、労働党政権の発足準備と、その優先事項を実現する役割を担っていた。

グレイ氏を批判する人たちは、政権発足直後の首相官邸の機能不全ぶりを、グレイ氏のせいにした。

しかし、グレイ氏の辞任は、後任の首席補佐官となるモーガン・マクスウィーニー氏との権力争いの帰結でもあった。マクスウィーニー氏は、2024年総選挙で労働党圧勝を実現させた立役者だった。

トランプ氏との意外な友情

スターマー首相は国内ではトラブル続きだったが、世界的な舞台での立ち回りは称賛された。

ドナルド・トランプ米大統領とは意外な友情を築いた。また、ウクライナでの戦争を終わらせるための交渉では、欧州諸国の中で主導的な役割を果たした。

その一方、首相として外交問題に重点を置き、外国を訪れることが多かったため、「いつもいないキア」と批判された。

さらに、イランとの戦争に巻き込まれることをスターマー氏が拒否したため、イギリスとアメリカの特別な関係は悪化し続けた。ただし、イギリスの有権者は首相のこの姿勢は支持していると、世論調査が示している。

黄色いカーテンと英米両国の国旗を背に、共にダークスーツにえんじ色のネクタイのスターマー氏とトランプ氏が笑顔で向き合い握手している

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画像説明, 第2次トランプ政権が発足した翌月、スターマー氏がワシントンを訪れ、トランプ氏と会談した。写真は2025年2月、ホワイトハウスでの記者会見での様子

国内では、医者たちがストライキを続け、小型ボートで英仏海峡を渡りイギリスに上陸する移民の数は増え続けた。

首相は経済成長を最優先事項に掲げたものの、経済は低迷を続けた。ウクライナとイランでの戦争の影響から、イギリスの物価高は続き、生活費高騰の圧迫は悪化した。

国内で難しい情勢が続き、政府は失策を重ねた。この状況に乗じて野党リフォームUKは2025年春の地方選で労働党を追い抜き、それ以来、支持率トップを維持し続けている。

ナイジェル・ファラージ氏率いるリフォームUKは昨年5月、さまざまな地方議会や市長選で労働党を破り、複数の自治体で初めて与党となった。イングランド西部ランコーンおよびヘルスビー選挙区で行われた下院補選でも、労働党を下した。

マンデルソン騒動

スターマー首相自身の支持率が過去最低を更新し続ける中、その指導力への不満が募っていった。

2025年9月には、労働党重鎮のマンデルソン卿が駐米大使を解任された。未成年女性への性的虐待でアメリカで有罪とされた資産家ジェフリー・エプスティーン元被告(故人)との関係が理由だった。さらに、アンジェラ・レイナー副首相が、住宅購入をめぐる税金の過少納付問題で辞任した。

労働党内で党首の座をスターマー氏と争う者が出るのではないかと、臆測が続いた。首相の支持者たちはマスコミに、労働党の下院議員が首相を追い落とそうとするなら、誰だろうとスターマー氏は戦うと言い続けた。

アメリカの司法省が今年1月から、エプスティーン元被告の捜査資料を次々と公開し始めると、マンデルソン卿と元被告はかなり親密な関係だったことを示す新しい証拠も明らかになった。これを機に、首相がそもそもなぜマンデルソン卿を駐米大使に任命したのかについて、論争が再燃した。

ダークスーツ姿の2人が横並びに立って笑顔を見せている

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画像説明, イギリスのマンデルソン駐米大使(左、当時)とスターマー首相(2025年2月、米首都ワシントンのイギリス大使公邸)

この結果、モーガン・マクスウィーニー首席補佐官が2月初めに辞任した。マクスウィーニー氏は、マンデルソン卿とエプスティーン元被告の友人関係がすでに周知されていたにもかかわらず、マンデルソン卿の駐米大使就任を強く推していた当事者だった。

しかし、このスキャンダルは、スターマー氏自身にとっての終わりの始まりでもあった。

大使就任にあたりマンデルソン卿の適格性を審査した担当者が懸念を示していたことが明らかになると、この問題に対する怒りがあらためて沸き起こった。

身辺調査担当者の懸念を、首相は今年4月になるまで知らされていなかった。しかし、首相は昨年9月の下院審議で、マンデルソン卿の大使任命については「適正手続きに全面的に従った」と発言。この発言が、議会をミスリードして誤解させるものだったと野党から非難された。

これによってまたしても、首相が官邸の動きをしっかり統制できていないのではないかと、その指導力が疑問視された。そもそも、マンデルソン卿を大使に任命したその判断力にも疑問符がついた。

スターマー氏はさらに数週間、首相として持ちこたえたものの、その権威は衰え続けた。イギリスの歴史で最も人気のない首相だとする世論調査もあった。

首相本人と首相に最も近い人たちには、なぜスターマー氏がこれほど有権者に嫌われているのか、はっきりした理由がわからなかった。

世論調査に詳しいサー・ジョン・カーティスは、2024年の選挙以前から、スターマー氏が国民のお気に入りになったことは一度もなかったと言う。

「サー・キア・スターマーは、決して人気のある指導者ではなかった」

ペンドル・アンド・クリザーロー選挙区選出のジョナサン・ヒンダー下院議員(労働党)は英紙タイムズにこう話した。

「有権者と話していると、国民がキアをどう思っているのか、その感覚が伝わってくる。キアは何かの信念を掲げているわけでもないのに、とてつもなくごたいそうに聖人ぶって偉そうだと、多くの有権者が思っている。そして、多くの人は自分の職場で、手続きばかりをとやかく重視する人事部が耐えられないと思っているわけだが、キアの政治手法はまさにそれを連想させるわけだ」

今年5月の地方選の結果、労働党はウェールズ議会の過半数を失った。スコットランド議会でも、労働党にとって史上最悪の結果となり、イングランドでは約1500人の市議会議員が落選した。多くの労働党下院議員にとって、これが最後のダメ押しだった。

労働党の下院議員100人以上が公に、首相の辞任を求めた。ウェス・ストリーティング氏は保健相を辞め、政府が「さまよい」、「ビジョン」を欠いていると批判した。

労働党議員たちを背に、下院で答弁するスターマー手法

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画像説明, 労働党の一般議員はしばしば、スターマー首相に抵抗した

それでもスターマー氏はこの時はまだ、党内の批判に抗い続けた。今までよりも大胆な行動を約束し、自分のリーダーシップの下でイギリスは復調しつつあるのだと主張した。その証拠に、NHSの順番待ちリストは短くなっているし、合法的な移民や小型ボートでのイギリス入国は減っていると力説した。

首相は6月には、16歳未満を対象に複数のソーシャルメディアへのアクセスを禁止すると発表した。これは、自分の政治的レガシーを確保するための措置とみられている。首相の支持者たちは、政府が生活費高騰問題に取り組んでいる証拠として、学校で授業開始前に生徒に朝食を無料で提供する事業の実施も指摘する。

首相は何より、党首選が行われるなら、国は混乱し不安定になると警告し続けた。

しかし、6月にもなるとストリーティング前保健相はもはや公然と、スターマー氏の代わりに党首になろうと運動し始めていた。加えて、幅広く尊敬されているジョン・ヒーリー国防相が、軍事支出計画をめぐり抗議辞任したことも、首相への追い打ちとなった。

しかし、スターマー首相を辞任に追い込む決定打となったのは、アンディ・バーナム氏の下院復帰だった。

歴代労働党政権で閣僚を務めた後にグレーター・マンチェスター市長となったバーナム氏は、かねて党首と首相の座を欲していた。

労働党の規則により、党首選の実施を要求するには下院議員でなくてはならない。そこでバーナム氏は再び下院議員になろうと、イングランド北西部メイカーフィールド選挙区で、下院補欠選挙に出馬した。

5月の地方選では、リフォームUKが同選挙区で勝利していた。その同じ選挙区でバーナム氏は、リフォームUKの候補に対し圧勝した。多くの労働党議員がこの結果を、次の総選挙で党を率いるべきはバーナム氏だという証拠と受け止めた。

スターマー首相は辞任演説で、自分を追い落とそうとする相手の名前は口にしなかった。ただ、労働党の新しい党首を選ぶ手続きが始まるとだけ発表した。バーナム氏以外が党首の座に名乗りを上げるのかは、まだ不明だ。

首相官邸の玄関前で演台に向かって立った首相は、「2年前にこの通りを歩いてきたあの時は、私の人生で最も誇らしい瞬間でした」と冒頭で述べた。

辞任演説は短く、過去2年間で何を成し遂げたかを、いつもながらの淡々とした口調で並べ、後任を全面的かつ無条件に支持すると約束した。そこに苦々しい様子はなかった。

首相在任中にめったに表に出さなかった感情が、ふつふつと浮かび上がったのは、演説を終えようとしていた時だった。

スターマー首相は辞任演説をこう締めくくった。

「この国で最大の仕事を離れた後は、一番大事な仕事にもっと時間を使うつもりです。それはつまり素晴らしい妻のヴィックに対して、良い時も悪い時も私のそばでしっかり支えてくれた彼女にとって、自分にできる限り最善の夫となり、そして私の誇りで喜びでもある美しい子どもたちに対して、できる限り最善の父となることです」