【解説】 アメリカとイランの暫定合意、ネタニヤフ氏にとって政治的悪夢に

画像提供, AFP via Getty Images
ルーシー・ウィリアムソン中東特派員(エルサレム)
アメリカは15日、イランとの戦争を終結させるため、停戦延長を含む暫定的な合意に署名したと発表した。この暫定合意は、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相にとって政治的悪夢と言える。ネタニヤフ氏は、その政治キャリアを支えてきた三つの柱を打ち砕かれ、新たな安全保障上のジレンマから抜け出せなくなるからだ。
ネタニヤフ氏は長年、アメリカの政治家たちに本物の影響力を持つ、アメリカ政界の「ささやき役」を自認し、周りにもそうアピールしてきた。そのネタニヤフ氏ともあろう人が、アメリカにおける一番の仲間から、なぜこれほど徹底的に疎外され、これほど公然と侮辱されることになったのだろうか。
ネタニヤフ氏は、イランとの対決をイスラエルの安全保障政策の中心に据えてきた。その人がイランとの戦争を、イランの政権をおそらく前よりも強くした形で、終えるなどあり得るのだろうか。
ネタニヤフ氏はかつて、イスラエルの「ミスター安全保障」を自認していた。その古くからの政治的イメージが傷ついた今、しかもイスラエル総選挙を数カ月後に控えて、ネタニヤフ氏はアメリカとイランの両方から、レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラへの攻撃をやめるよう迫られている。そんな事態を、ネタニヤフ氏は耐え抜けるのだろうか。
現在ネタニヤフ氏が直面している選択肢は、どれも芳しくはない。野党指導者ヤイル・ラピド氏は15日のイスラエル国会(クネセト)で、「最大の同盟国と直接的かつ破壊的に対立するか、あるいは相手に屈してイスラエルの国益を放棄するか、どちらかだ」と、首相に与えられた選択肢を簡潔に要約した。
アメリカのドナルド・トランプ大統領は、14日にレバノン・ベイルートへの攻撃を命じたイスラエルのネタニヤフ首相について、判断力が欠如していると、罵り言葉を交えて非難した。一方、イスラエルの総選挙は10月末までに実施されなくてはならない。
こうした状況でネタニヤフ氏の政敵やメディアの論客は、トランプ氏による首相非難を、格好の攻撃材料として利用している。
一方で、ネタニヤフ氏が自陣営からも圧力を受けていることが、同氏率いるリクード党のメンバーや、連立政権内の極右閣僚らの発言から見て取れる。特に、イラン政権が「レバノンを含むすべての戦線での軍事作戦」を停戦の対象にすべきだと要求していることをめぐって、厳しい圧力が首相にかかっている。
イスラエルの極右政治家、イタマル・ベン=グヴィル国家安全保障相は15日、「我々は、トランプ氏の合意に縛られない」とソーシャルメディアに投稿。「我々は、自分たちの安全を確保しないこの合意の当事者ではない」と主張した。

画像提供, AFP via Getty Images
リクード党のアリエル・カルナー議員は、「イスラエルは自国を守り続ける」と私に話した。ただ、それはイスラエルが攻撃を続けるという意味なのかについては、明言しなかった。
「私たちは、自分たちにとって必要なことをする。そして友人たちは我々のことを理解するものと期待している」と、カルナー議員は述べた。「同盟国の間で意見の相違が生じることはあるが、同盟国も、自分の同盟相手が危険に直面している時には、相手のことを理解すべきだ」。
イスラエルの諜報機関モサドの元職員で、イラン問題の専門家シマ・シャイン氏は、「なぜアメリカがこれ(合意条件)を受け入れたのか理解しがたい」と述べた。
「レバノンの今後をイランに決めさせることで、アメリカはイランに対し、ヒズボラへの支援を継続し、ヒズボラがレバノン政界における主要な政治的アクター(当事者)であり続けることを可能にしている」
そのうえで、「イスラエルはこれに不満を抱いている。安全保障当局も、政界も同様だ」と、シャイン氏は述べた。
イスラエル政界の全方面から批判と怒りが噴出するなか、ネタニヤフ氏は15日夜、失敗したのではないかと記者団から指摘され、強く反発した。
「私は大人になってからというもの、イランに核兵器を持たせないという、一つの目的に人生をささげてきた」と、ネタニヤフ氏はエルサレムでの記者会見で強調した。
「我々は、このために必要なことをする。この目的について、私は自分をいっさい制約しない。イランは、絶対に核兵器を持たない」
しかし、首相は自分とトランプ氏の見解が異なることもあると認めた。
「私は協議において、自分の考えを表明してきた。しかし、私たちにはそれぞれ、自分自身の利益がある。第一に、核の脅威の排除、第二に、レバノンだ。我々は緩衝地帯を設けた。必要な限りそこにとどまる」
「イランは我々に撤退を求めたが、そうはならなかった。なぜか。私が断固として譲らなかったからだ。同盟国アメリカは、我々の決意を尊重している。我々はまた、作戦上の自由を維持する必要性も力説している。攻撃されたり脅かされた場合には、我々は対応する」
ネタニヤフ氏は多くの場合、自分の勝利をすぐにも主張する。しかし今では、自分の次の一手をどうするか、苦慮している。
安全保障は、ネタニヤフ氏が何十年にもわたり有権者に提示してきた公約の要だ。しかし、そのメッセージは今や、ますます届きにくくなっている。
2023年10月7日にパレスチナ・ガザ地区の武装組織ハマスが中心となりイスラエルを攻撃し、イスラエルは甚大な被害を受けた。この時のネタニヤフ氏は、イスラエルの安全保障政策をより攻撃的なものへと転換することを選んだ。つまり、脅威を封じ込めるのではなく、先制して排除するというものだ。
イスラエルが直面する脅威を取り除くことで、中東を変える。それが、この危機に対するネタニヤフ氏の解決策だった。
イスラエル軍はガザの大部分を破壊した。ハマスが運営する保健省によると、ガザで7万3000人以上が殺害された。それにもかかわらず、ハマスは依然としてガザの半分を支配下に置き、同地区で勢力を回復しつつある。こうした中、アメリカが仲介する和平案や、アメリカが任命したメンバーで構成されるガザの暫定的統治機構は、イスラエルとハマスが停戦に合意してから8カ月が過ぎた現在も行き詰ったままだ。

画像提供, AFP via Getty Images
ネタニヤフ氏の新しい安全保障方針の下、イスラエル部隊はガザやレバノン、シリアの広範な地域を支配し続けている。多くのイスラエル国民がこの戦略を支持しているだけに、イスラエル軍が総選挙の前に撤退する可能性は低い。明確な外交的道筋が見えない中、イスラエルは軍事資源や予備役兵を限界まで投入している。
ヒズボラやイラン政権との度重なる交戦で、イスラエルの主要な敵は排除できなかった。そればかりか、イラン政府は以前より強硬な顔ぶれが占めることになった。アメリカとイスラエルの軍事力に対する不安は薄れ、イランは重要な海上輸送路のホルムズ海峡を事実上封鎖することで影響力を強めている。
今や、イスラエルの宿敵こそが、イスラエルの重要な同盟国のアメリカに対する影響力を持つように見える。
イスラエルの国家安全保障研究所(INSS)のダニー・シトリノウィッチ・イラン担当上級研究員は、「イスラエルは失敗し、イラン政府に対する戦略を再評価せざるを得なくなっている。(イスラエルは)より現実的かつ抑制的な優先順位を、策定する必要がある」と指摘する。
「合意の妨害が狙いだとアメリカ政府に受け止められるようなまねをイスラエル軍がしようものなら、アメリカは厳しく反応するはずだ」と、シトリノウィッチ氏は日刊紙「イスラエル・ハヨム」に話した。
さらに同氏は、「これがオバマ政権下ならネタニヤフ氏には、ホワイトハウスを迂回(うかい)して、議会やアメリカの世論を動員しようとする手もあった。しかし今では、そのような選択肢はないに等しい」と述べた。
ネタニヤフ氏は長年、自分の政策と政治手腕こそ、地域の脅威からイスラエルを守る最善の手段だと、イスラエルの有権者たちに訴えてきた。しかしその約束は、変化する状況にますます追いつけなくなっているようだ。
イランで体制転換が起きていれば、ネタニヤフ氏の政治的イメージと、総選挙に向けた主張を立て直すことができたかもしれない。だが実際には、ネタニヤフ氏は自分が打ち出した新たな安全保障方針により、敵とではなく、同盟国との対立あるいは屈服という選択を迫られている。










